世論は、つまるところ流行であって、本質そのものでも、何かの目 的でも証拠でもなく、一過性の熱病のようなものに違いない。
フロンガス削減やCO2削減、マイナスイオングッズや、ゴミの 細かい分別、食品添加物の毒性等々、大きな流行の渦が、いつの間 にか「常識」のようになり、知らない人はKYどころか「非国民」にな る。(往々にして、その効果は非科学的で無駄なものが多いのに。上記 の例のように・・・。)
今回の光市の母子殺害事件の判決は、世論によって後押しされての 死刑判決といっても過言ではないだろう。(この元少年の犯罪の残虐さと残された親族の悲痛さに、日本中が 悲しみ、怒っていた。)
過去の判例から照らした基準はどうだったのかは知らないが、裁判 長の発言の「反省の態度がみられたら死刑にはならなかった」と いったのには驚いた。これでは今後事実関係を争うことは、高いリ スクと天秤にかけなければならない。
この判断に、「法解釈が世論で動く」怖さを感じる。
まして、裁判員制度が始まれば、その趣旨の一つでもあるように、 世間一般の考え方が割り込んでくる。
世の中の向かう方向を、渦中にいながらでも、常に批判的に見てい じかないと、恐ろしいことになりかねない。