盛岡の街は、歩いて周るのに丁度良い、という印象があるが、駅から中心街までは北上川を渡らなければいけないし、比較的駅に近い「啄木新婚の家」ですら、ちょっと離れていて、まして岩手の由来と云われる「鬼の手」など見ようとしたら、健脚な人でも歩くのは結構しんどい。
そうなると自転車が欲しい。駅前から借りられるとありがたい。ホテルでもいい。
連れ合いと来ると体力差があるから、1台は電動アシスト自転車が欲しい。もちろん、事前にそれが分かっていないといけない。
手持ちの地図も欲しい。自転車に乗りつつ、ちょっと止まってパッと開けるサイズ、風でバサバサとならない紙の厚さがいい。
地図には観光名所だけではなく、トイレの場所もさりげなく載っていて欲しい(トイレ専用マップなぞ広げたくはない)。
まして、盛岡は、公衆トイレの数が極端に少ないから必須。
僕は人の3倍は水を飲むからトイレも近いのだ。
街を巡っていると、あちこちに興味が沸く。
誰かに話しかけていろいろ聞けたらいいけど、そこまで外交的じゃないから、幾つかについては解説が設置されてあるといい。
話のきっかけにもしやすい。
自転車でずいぶん巡ったとして、疲れてきたら、自転車を近くで返却して、バスで駅付近までもどる。
泊まりのときは、自転車ごとバスに乗り込んで、明日また慣れた自転車で巡る。電動アシスト自転車のバッテリーは、ホテルで充電したい。これは有料でもかまわないが。
帰りの段、名残を惜しみつつ、本屋を見ていると、もっと盛岡のことを深く教えてくれる本に出会える。
結構、見ていなかったものもある。見てきたものも、視点を変えると、違った見方ができそうだ。
帰りの新幹線では、その本を読みながら、想像をめぐらせる。
上記は、私が盛岡に行くときの事を事例にした。だが、私以外にもこれを望ましいと思う人も多いだろう。
同様に、心身に障害がある方を事例にしたら、また新たな“気遣い”の必要性が見えてくるだろう。
「誰にも優しい」は一見難しいし、矛盾の塊のように思える。
誰にも、などと考えると、漠然としていて、あれは中高年にはいいが、若い人はこまるだろう、じゃあ、やらない方がいい、などと、マイナスのスパイラルに落ち込んでしまう。
しかし、ある特定の1人から考えるときはそうはならない。
Aさんに優しくするにはこうすればいいだろう。このことはBさんにも優しいかもしれない、もう少し工夫したらCさんにも優しくなるだろうか。
さらに、あれを考えると、DさんにもEさんにも優しいものになる……。
こうして、リアルな人を考えながら、徐々に地道に対象を拡大していくことこそが、「誰にも優しい街」の早道ではないだろうか。